クラウド活用と生産性向上の専門サイトが発行している、フリーペーパーに「あの歴史
的偉人はこうして偉業をなしとげた」と歴史的著名な成功者の名言を紹介している
コーナーがあります。コロナ特集号にふさわしく日本の予防医学のために情熱をつらぬ
いた、日本細菌学の父がのこした想いがつづられております。
北里柴三郎●1853年生まれ。医学者。仕事熱心で情熱家だったかれのもとでは、多くの
優秀な門下生がそだちました。赤痢菌を発見した志賀潔(しがきよし)や、梅毒の特効薬
をうみだした秦佐八郎(はたさはちろう)は、北里が伝染病研究所の所長を辞任するさい、
ともに退職して北里研究所にうつっています。また、黄熱病の研究でしられる野口英世は、
伝染病研究所の助手をつとめたのち、北里の紹介状をたずさえて渡米しました。また、北里
は恩師にもむぐまれ、ロベルト・コッホ(近代細菌学の開祖)とは親子のような関係をきず
きました。さらに、組織と対立しがちな北里をあんじた福沢諭吉は、私財を投じて彼を支援
しつづけたのです。
「~あの歴史的偉人はこうして偉業をなしとげた名言~」
「世の中は決して行き詰まらぬ。若し行き詰まったものがあるならば、これは熱と誠
がないからである。」―北里柴三郎―
2024年からの新千円札の顔にえらばれた北里柴三郎。彼は「愛と誠」をもって人々
の命をすくった、日本近代医学の先駆者です。
1853年生まれ。「医者の使命は病気を予防すること」と予防医学をこころざしまた。
卒業後、国費でドイツに留学し、近代細菌学の開祖・ロベルト・コッホに弟子入りし
て成長をとげます。転機は1889年。北里は破傷風菌の純粋培養に成功。また、
破傷風菌の毒素にたいする免疫抗体を発見し、それを応用した血清療法も確立します。
さらに、同僚とジフテリアの血清療法も確立して世界的にしられるようになり、
欧米の研究所から誘いをうけましたが、日本の医療体制を改善し、国民を守りたいと
考えて帰国します。福沢諭吉らの支援のもと、私立伝染病研究所を創立し、伝染病と
細菌学の研究にいそしみました。さらに、日本初の結核専門病院を開設。94年には
香港でペスト菌を発見しています。1914年には、私立北里研究所(現在の北里大学
の母体)を創立。17年には慶應義塾大学医学部を創設するなど、医学界に数多く貢献
したのち、78歳で死去されました。大学や政府組織との衝突もおおかった北里。しかし、
多くの命を救うため、不撓不屈の精神をつらぬいきました。その姿勢は、感染のリスク
を負いながらも、新型コロナウイルス対策にあたる医療関係者に重なります。私たちの
命を守るため、昼夜問わず感染症に立ち向かっている医療従事者の皆様に、改めて感謝
の意を表したいと思います。m(_ _)m
「世の中は決して行き詰まらぬ。若し行き詰まったものがあるならば、これは熱と誠
がないからである。」わたしたちの業務に置き換えて1つの指針としていきたい
名言です。引き続き、感染予防につとめて絶対無感染を勝ちとりましょう。(^^)/
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