「出来ない」と思うより「出来ると」100回となえる(1039号)・・機械設計・製作のAZA

早朝の読書学習の時間に現在学んでいる著者:日本電産会長 創業者の永守重信氏「成しとげる力」が感動的で沢山の学びを頂いています。永守氏は私達と同じモーター開発の技術者でもありました。京都の自宅6畳間で仲間3人とともたった4人で日本電装を創業したのは、28歳。人、金、設備、技術、知名度全てゼロからスタートしそんなときから「兆円企業を作るのだ」と公言していた。日本電産を創業してから48年の現在では世界に300社を超えるグループ企業を擁し、売上高1兆6000億、従業員11万人「世界一のモーターメーカー」になりました。幼少期から学生時代まで貧乏で苦労の連続だった創業者は気高い志を持ち壮大な目標を達成しました。今日は、『「出来きない」と思うより先に「できる」と百回となえよ』という話をご紹介します。――創業まもない頃の話です。仕事をもらうために必死になって営業に回りますが、聞いたこともない名前の会社なので、断られることが常でした。社名こそ立派ですが、会社の所在地は自宅のまま。そのうえ工場は民家の一階で従業員はだったの三人。どこも相手にしてくれません。なかには、無茶な注文を振って、あきらめさせようとする会社もありました。今の製品より重さは半分でパワーは倍。加えて消費電力が半分で賄える物の条件で無理難題を押しつけてくる。これでは通常の仕事の発注ではなく、新製品の開発です。大手メーカーが二の足を踏むような仕事ばかりを引き受け「どうすればできるだろうか」四人で知恵を絞りながら夜を徹して図面を引く。気がつくとプレハブの作業場の窓の外は白み始め、「少し休憩して、もう一回だけ、図面を考え直してみよう」とみんなに声をかけて仮眠をとるのだが、けっきょく夢の中でも図面を考えている。寝ても覚めても試作品作りに明け暮れた。試行錯誤を重ねるうちに、「重さ」は二分の一の要求に対して二十%減、「消費電力」もなんとか十五%減にまでこぎつけることが出来ました。指定された性能には及ばないが、技術的にはかなり水準の高い製品に仕上げることが出来たのです。試作品を持っていくと、「すごいですね。ここまで出来るなんて大したものです。大手に依頼したけど断られました」と感心して、すぐに注文をくれました。こういうことをくり返しながら、少しずつものづくりのノウハウが蓄積され、市場の門戸が開かれていったのです。お客様から無理難題をいわれて会社に戻った時によくやったのは、仲間を集めて、「これから一緒に、できる、できる、できる、と百回言おう」と呼びかけることでした。これを何度もくり返していきます。二百回、三百回では、その気にはなれなかったが、五百回を超える頃から、何となくできるような気がしてくるから不思議です。その高揚した気分をエネルギーにして試作を積み重ねた結果、お客様が満足する製品を作り出すことが出来ました。このようにして日本電産は他社が二の足を踏むような新製品を次々と世に送り出してきたといいます。私達の設計業務でも難題にぶち当たり、ついつい出来ない理由や文句が出てしまうときも有りますが、そんときは「できる、できる、できる」と自身を鼓舞し、脳をやる気にさせることも必要ですね。実践してみませんか。

エンジニアリング事業部・最近の実績☆☆AtoZtoA