多くの中堅・中小企業が、新型コロナウイルスの感染拡大により経営に苦しんでいます。2020年に創業135年を迎えた駅弁「峠の釜めし」で有名な荻野屋も例外ではありません。観光産業と密接に関連するために約9割の売上げを一気に失ったのです。しかし、危機に面したのは今回が初めてではありませんでした。荻野屋は、もともとは碓井峠近くで旅館業を営んでいたのですが、鉄道が敷設されることを知り、横川駅で駅弁業を開始。いまのベンチャービジネスのような挑戦でした。ところが、創業からの道のりは平たんではなかったのです。第一次世界大戦後には世界大恐慌、第二次世界大戦前後には食材不足の時代に直面。3代目社長となった高見澤一重は、妻のみねじと3人の幼子を残し、若くして急逝。その残されたみねじが、3年の間、来る日も来る日も信越本線横川駅のホームに立ち、美味しい駅弁をつくろうと、お客様の声を聞き続け、ヒット商品となる「峠の釜めし」を創り上げたのです。しかし、今度はモータリゼーションの逆風。鉄路から道路へと変わっていく中、駅弁からドラブインでの販売に積極的に乗り出し、見事に新しい販路を開拓してピンチをチャンスに変えたのです。高見澤志和が、父・忠顕の急逝を受けて、6代目の経営を引き継いだのは、バブル崩壊後の負の遺産が蓄積され、水面下で膨らんでいたころです。その事実に気づかず、拡大路線を続けた志和はその処理に長年苦しむことになります。ようやく負の遺産の清算を終えた直後にコロナ禍に見舞われます。いまが、荻野屋にとっても正念場です。「ピンチの後にチャンスがやってきても、すでに諦め、撤退してしまえばチャンスはつかめません。諦めずチャレンジし続けることが成功への要諦だと思います。」志和は荻野屋の過去の歴史に学び、このピンチを新しい荻野屋として生まれ変わるチャンスにしたいと闘志をみなぎらせています。コロナ禍の下で会社の行く末を案じ、なにがしかのヒントや救いを求められている人たちに、荻野屋のささやかな挑戦の歴史が一助となるのではないでしょうか。ご興味のある方は「書籍:諦めない経営」を是非一読ください。
エンジニアリング事業部・最近の実績☆☆AtoZtoA