技術屋のサブスク以前にもご紹介したことのある会社さまのお話です。今年の24時間テレビでもドラマ化されました。人間の究極の幸せについて考えてみたいと思います。
――それは、昭和34年の秋、私が経営する会社に訪れた出来事から始まります。都立青馬養護学校の先生が、知的障害者を教育するために私たちの門を叩いた瞬間でした。生徒たちは卒業を控え、就職先を探していました。私は当初、知的障害者という言葉から生じる誤解から、雇用を受け入れることには懐疑的でした。しかし、その先生の熱意と、生徒たちの将来にかける願いに触れ、心が動かされました。
生徒たちが就職できなければ、地方の施設に入らざるを得なくなり、一生働く機会を持つことなく、そのまま人生を閉じることになるでしょう。私は「少しだけなら」という気持ちで、二人の女生徒を二週間だけ実習として受け入れることにしました。その結果、私たちの職場には、一所懸命に働く知的障害者と、彼らを支えるスタッフとの温かなコミュニティが生まれました。
彼らは昼も夜も休むことなく、黙々と仕事に取り組みました。私たちの従業員は次第に、彼らを自分の娘のように受け入れ、支えるようになりました。実習が終了した際、スタッフたちは私に対して、彼らを雇って支えていくべきだと熱心に語りました。
こうして、その先生の情熱と生徒たちの努力に触発され、私たちは知的障害者を雇用し続けることを決意しました。他の学校からの要請もあった中で、この先生の情熱は一際特別でした。彼女の言葉が、私たちの会社の原点になりました。
しかし、雇用を続けることについては、私自身に迷いもありました。その折、取引先の法事で出会ったご住職に相談しました。私たちの知的障害者のスタッフは一生懸命に働いてくれますが、本当に幸せなのは施設で過ごす方が良いのではないかという疑念がありました。すると、ご住職は私に、人間の究極の幸せは四つあると教えてくれました。
それは『愛されること』、『人に褒められること』、『人の役に立つこと』、そして『人に必要とされること』だと言うのです。そして、この中で愛されること以外の三つは、社会に出て働いてこそ得られるものであり、知的障害者たちも私たちと同じように、人間の幸せを追求し、毎日仕事に取り組んでいるのだと教えてくれました。この言葉が、私たちが知的障害者を受け入れ続ける決断を強化しました。彼らが私たちの職場で働くことで、彼ら自身も社会とのつながりを築き、究極の幸せを手に入れることができるのです。この経験から、私たちは「愛されること、人に褒められること、人の役に立つこと、人に必要とされること」が人間の究極の幸せであることを学びました。そして、知的障害者たちにも、この幸せを追求し、実現する機会を提供することが私たちの使命であると確信しています。この物語から、私たちは人間の幸せがどれほど貴重で、誰にでも届けられるものであることを学びました。知的障害者たちが私たちの一員として働くことで、彼らの幸せが広がり、私たち自身も幸せを共有することができるのです――。私達の仕事の取り組みについてのクレドには「仕事が出来ることに感謝しワクワクの心を忘れません。」とあります。それも人間の究極の幸せは四つの探求にあるのではないでしょうか。「愛されること、人に褒められること、人の役に立つこと、人に必要とされること」