技術屋のサブスク 弊社は今期35周年を迎えます。35年前の会社設立時の登記登録をする際にお世話になった司法書士の先生から、「東京通信工業」の設立時の「東京通信工業株式会社設立趣意書」を頂きました。手書きのコピーのコピーだったと思われますが今も大切に金庫に保管されています。司法書士の先生から初心の志を高く持ち「しっかりした会社を作っていきなさい」という激励を込めてのものだったと思います。東京通信工業株式会社は現在ソニー株式会社です。 創業された盛田昭夫氏は1921年、愛知県名古屋に生まれました。実家は400年続く造り酒屋であり、15代当主になるべき人でした。しかし大阪帝国大学時代の研究を評価され、東京工業大学の講師という職を得るのですが、何とGHQによる公職追放令でこの職をはく奪されてしまったのです。そして井深大氏との運命ともいうべき出会いがあり、46年5月、東京通信工業(現在のソニー)を設立することになるのです。その後、第ニ代社長として大活躍しました。
こんなエピソードがあります。25歳にして会社を設立した盛田氏は、世界初の本格的トランジスタラジオの売り込みをするべくアメリカに渡ります。しかし、名もない東京の小さな町工場ともいうべき会社からアメリカでの販売依頼を受けたカンパニーはこう言い放つのです。「20万台のオーダーを出そう。これは素晴らしい製品だ。しかし、戦争に負けたニッポンの小さな会社のブランドでは売れないよ。こちらの商標をつけさせてもらうよ。」
しかし、盛田氏はこのような屈辱的な条件を受けることはできないと考えた。将来を考えれば、目先の利益だけを考えてもしかたがないという判断で相手の商談を断ったのです。今となっては伝説のトランジスタラジオである「TR-55」をソニーというブランドで売ってみせると決意を固め、全社一丸となって頑張ったのです。その次の代の「TR-72」で爆発的なヒットを記録し、世界のソニーとして躍り出ました。「今は人に知られない小さな会社であっても、世界に向かって胸を張れ!」という盛田さんの言葉を、今日のニッポン半導体の反撃を必死に支える中小企業の私達に、語り伝えたいお話でしたのでご紹介させて頂きました。
東京通信工業株式会社設立趣意書 – 井深 大 https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/prospectus.html